- 発売から25年。椎名林檎『無罪モラトリアム』はなぜ衝撃と呼ばれたのか 投稿日 2024年3月1日 12:05:12 (V系まとめ速報)
2024年02月28日 12:40 J-WAVE NEWS
https://news.j-wave.co.jp/2024/02/content-2785.html■初対面の印象は「音楽を垣根なく愛する人」
90年代後半、日本の音楽シーンは小室サウンドがブーム。バンドではMr.Children、GLAYなどがブレイクする中、衝撃的だと今も語り継がれるアルバムがリリースされた。それが椎名林檎『無罪モラトリアム』だ。
このアルバムは1999年2月24日に発売された椎名林檎のファーストアルバム。当時、自らを新宿系、歌舞伎町系と名乗っていた椎名は20歳だった。『歌舞伎町の女王』『幸福論(悦楽編)』『ここでキスして。』などの名曲が収録されており、当時売上は170万枚を超えるミリオンセールスを記録した。
そして、この『無罪モラトリアム』を椎名と一緒に制作したのが音楽プロデューサーの亀田誠治だ。このアルバムの制作当時、亀田は30代前半だった。
まずは亀田が椎名林檎との出会いや、そのときの印象を語った。
亀田:当時のレコード会社から連絡がありまして、「10代の素晴らしいシンガーソングライターがいる。今まで誰も書いたことのないようなメロディー、文語調の歌詞、むちゃくちゃサウンドもとんがってる。本当に素晴らしい才能だってわかってるんだけど、どういう風にこの人と一緒に音楽を作っていけばいいのかわからない。亀ちゃん、力になってくれないかな。だって、亀ちゃんの人柄があれば……」と言われて、「ちょっと待って。人柄かい」みたいな(笑)。音楽性じゃなくて人柄で指名されたな、みたいなのがありました。とりあえず1回顔合わせしましょうってことになり、僕のスタジオに来てもらったんですね。まず林檎さんが僕の部屋に入ってきました。
(中略)
■「神が音楽の才能を与えた」を実感
椎名とアレンジャーとしての亀田。2人は1年間かけて、亀田のスタジオにこもって『無罪モラトリアム』の制作を進めていった。亀田が「本当にすごいと思った」と振り返るのは、『無罪モラトリアム』と、2枚目の『勝訴ストリップ』に収録されている楽曲のほとんどを、まだ10代だった椎名がすでに書き上げていたことだ。
亀田:カセットテープに自分の弾き語りだったり、ドラムマシーンと歌だけみたいなやつもありました。『丸ノ内サディスティック』は、ドラムマシーンとピアノで弾き語っているやつもあったりとか。アルバム2枚分の曲を、10代の少女が高校生くらいまでの間に書き上げてしまっている。歌詞もできていて、こんな天才がいるのかって。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
Source: V系まとめ速報
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